何故遺族はJR社長を有罪にしたいのか?
福知山線の脱線事故でJRの社長が無罪になった。
遺族のコメントが
「到底納得できず、個人的には控訴したい」
「親としての感情からいうと、有罪になって誰かが責任をとってもらいたい」
違和感を感じたのは、社長が有罪なら納得できたのか、ということ。
とにかく「最高経営責任者、お前が一番の偉いさんなんだから責任を取れ」と言ってるようにしか聞こえない。違う言い方をするなら、土下座させてある種のカタルシスを味わいたいとしか思えない。もし有罪になったら遺族の方の心は一段落つくかもしれないが、悲しみは消えないだろう。
JRくらいの大企業なら、事故の間接的な要因となった精神的苦痛のある業務指導や、ATSの設置、過密ダイヤまで社長が管理するのは難しいだろう。そういうものは普通部下に委任するものだ。
簡単に言うと誰かがコテンパンにやられて「ざまあみろ、これが報いだ」というのを味わいたい感情が大きいのだろう。役職の大きい人を有罪にして、被害者に「やったよ、これでお前の復讐ができたよ」と報告したいというような感情が大きいのだろう。 遺族と被害者には同情するけどこれは違うと思う。
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