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ずっと昔に、僕の集っている教会の機関誌に載っていた記事が良かったのを思い出したので、それを分かち合おうと思います。教会員が投稿した実話です。

 

アン・イェルビントン・リンチ

わたしがウィリアムに初めて会ったのは地元の地域社会学校で開かれている成人対象の高校課程で英語を教えて3年目のことでした。その日は新学期の初日でした。彼は小柄で、暗い目をしていて金髪がきつく縮れた、どちらかというと見栄えがせず、清潔とは言えない青年でした。そしてすぐに分かったことですが、文字はまったくと言っていいほど読めませんでした。1970年代初めで、若者の間では長髪が流行し、麻薬が大きな社会問題になり始めていたころでした。麻薬文化の犠牲者がここにもいるのか、と思ったわたしは心が沈みました。

 前置きを終えてから、わたしは授業初日に毎回行っているように、自分について作文を書くよう生徒たちに言いました。教室の生徒たちを一人一人見ていくと、ウィリアムが鉛筆をぎこちない手つきで強く握り締め、数分ごとにしんをなめながら作文に苦労しているのに気がつきました。まゆをひそめ、顔を作文用紙に近づけていました。

 ほかの生徒たちは比較的短時間で作文を書き終え、そわそわし始めたので、彼らを先に帰すことにしました。わずか数行の文を書くのにウィリアムは40分もかかりました。そして、ようやく提出された作文は、文字がまったく読めないものでした。わたしが作文を見ている間、彼はわたしの机の前に立って、じっとわたしを見詰めていました。

「読みましょうか」と彼は言いました。

「お願いするわ。」

「わたしの名前はウィリアムです。役所から生活保謎を受け、使われていないガレージの車の中で暮らしています。今19歳で、11歳のときからアルコ一ル中毒でした。今日から勉強することにしました。」

 それまでわたしは、読み書きがほとんどできない生徒を教えた経験がありませんでした。どうやって教えたらよいのかまったく見当もつきません。

「単語のつづりが全部問違っているわ」とわたしは言いました。

 ウィリアムはひどくがっかりした様子でしたが、「勉強しますから」と答えました。

「分かったわ。正しいつづりを書くから、明日の授業までに書けるようにしておいてね。」

「つづりのテストだ」と、彼はまるでそれが魔法の言葉であるかのようにつぶやきました。

 わたしは彼から目をそらして言いました。「いいこと、ウィリアム、、、。」彼がこの授業について行くのは無理であり、彼の学力ではすぐに遅れを取り、追いつけず、単位はまず取れないと思うことを伝えようとしました。でも、その代わりにわたしはこう言いました。「基本的な知識が少し不足しているようね。どれくらい頑張る気があるの。」

 彼はじっとわたしの顔を見詰めました。

「シェ一クスピアやトウェ一ンといった難しい作家を勉強していくのよ。」

「だれですって。」

「ウィリアム・シェ一クスピアやマ一ク卜ウェ一ンよ。」

「ほう」と彼は言いました。そして少し間を置いてから、

「勉強しますから」と付け加えました。

「楽じゃないわよ。でも、頑張れば、、、」とわたしは言いました。

 二度と彼の姿を見ることはないだろうと思っていましたが、ウィリアムは次の日の授業にだれよりも早くやって来ました。いちばん前の席に座り、授業の間、彼はまゆをきつくしかめ、目で熱心にわたしを追い、耳をそばだて、口もとをわずかに関けていました。授業が終わると、彼はわたしの机の前に立って長いことわたしを見詰めていました。

「どうしたの」とわたしはいらだちながら尋ねました。

「つづりのテストの勉強をしてきました」と彼は言いました。

 そのとおりでした。彼は全部の単語を暗記し、わたしが読み上げる度に素早く書くことができたのです。

 わたしは採点して正しい答えに印を付け、それから上の方にA+の評価を付け、大きく「感心しました」と書き込みました。彼はその様子を立って見ていました。そのとき、わたしはウィリアムがほほえむのを初めて見ました。彼はテスト用紙を手に取って丁寧に畳み、シャツのポケットにしまいました。

「今度は読む力をつけたいんです。何か本を貸していただけますか」と彼は尋ねました。

「適当なレベルの本がないと思うけど」と言いながら、わたしは机の引き出しを開けて、中の本や書類を調ベ始めました。

「それはどうですか」と彼は『ハックルベリ一フィンの冒険」を指差して言いました。

 わたしはためらい、それから首を振りました。「あなたには難しすぎると思うわ。」

「今までぽくの人生は難しいことばかりでした」と彼は言いました。

 わたしは娘の『象のエリ一、空を飛ぷ』をいう本を引き出しから取り出しました。

「それは小さい子どもの本じゃないですか」と彼は言いました。

「初心者向けの本よ」と言いながら、わたしは彼に本を手渡しました。

「さっきの本が読みたいんです。」その言葉を無視して子ども用の本を開き、そばに立って聞いている彼のために指で活字をたどりながら、わたしは声を出して読み始めました。

「今度はぽくがやってみます。」そう言って、彼はたどたどしく苦労しながら読み終えました。「ほら、だれかがお手本を見せてくれれば読めるんです。きっきの本を貸していただけたら少しずつ読んでみます。ばかじゃないんですから。」

 わたしは「ハックルベリ一・フィンの胃険」を渡しました。

毎日わたしはウィリアムの片手に単語のリストを握らせ、娘の本を1冊小わきに抱えさせて家に帰すようになりました。毎朝前の日の課題を覚えてきた彼は、それから2、3週間後、トウェ一ンの本を返しました。「読みましたよ」と報告した彼の誇らしげな表情に、わたしは涙ぐんでしまいました。

 その週、わたしは石けんと浴用夕オル、パス夕オル、それにデオドラントを袋に入れて彼に波し、「これも教育の大切な一部よ」と伝えました。

 彼は袋の中をのぞいて、ぽう然としてわたしを見ました。

しかし、翌日ウィリアムは清潔になっていました。しかも、読み書きに自信が持てるようになりました。彼の進歩は目覚ましく、授業中に文学の教科書から詩を輪読する際、彼も参加したがるようになりました。そして毎日授業後に1時間居残って、わたしと話をしました。もっとも、話すというよりは、彼が次々と出す質問に、わたしが答えようと努めていたのです。

 彼の学習意欲はほかの生徒にも波及しました。程なく、ほかに3人の生徒も居残るようになりました。そのうちの一人ス一ジ一は、後に正看護婦になり、ジョ一ディは生物学の博士号を取得しました。ジョ一ジは医者を目指していたのですが、その春にオ一トパイ事故で命を落としました。

 ジョ一ジの死に対し、生徒は皆大きなショックを受けました。その日わたしたちは人生のはかなさについて話し合い、わたしたちがどこから来て、ここで何をしているのか、死んだらどうなるのかという永遠の疑問に答えようとしていました。わたしは皆に、知識は力であり、神の栄光は英知であること、そしてこの世から次の世に受け継ぐことのできるものは、人との関係とこの世で得た知識だけだと教えたのです。

「大半の人は二つの方法で物事を学びます」とわたしは言いました。「一つは経験です。しかし、人生は短いので、すベての知識を経験によって学ぶことはできません。もう一つの方法は読書です。」わたしは彼らに翼を大きく広げて、若い力と熱意で満ちているころによく学ぶよう励ましました。

 ある日、ウィリアムが図書館で写した引用句の覧を持って教室に入り、皆に読んで聞かせました。特に彼が気に入ったのは、「知識は我々が飛ぶために必要な翼である」という言葉でした。

「先生、ぽくが飛ぶのを見てください。」そう言って、彼は腕を広げて羽のようにばたつかせたので、ほかの生徒やわたしは笑ってしまいました。

 ウィリアム(彼は、わたしが教えた生徒の中で唯一ほんとうの天才でした)は、2年間わたしの英語の授業を受講しました。彼が卒業した日、わたしは席に座って涙を流しながら彼の晴れ姿を眺め、ほんとうに彼を誇りに思いました。彼はその後も地域社会学校で勉強を続けました。時々週日にわたしのオフィスに立ち寄り、新たな世界に触れて感じる興奮を伝えてくれました。毎週金曜日にはわたしから本を1冊借り、すぐに読み終えて返すのが習慣でした。あるとき、わたしのモルモン書を貸してほしいと頼まれ、1冊プレゼントしました。それから1週間後、表紙の裏にわたしの証に添えて記しておいた宣教師の連絡先に彼が電話したことを知りました。彼のパプテスマの日に、わたしは高価な真珠を1冊プレゼントしました。

 去年の春にウィリ了ムから力一ドが届きました。彼は現在、大きな大学でスベイン語とアメリカ文学を教えています。「今クラスで『ハックルベリ一フィンの冒険』を読んでいます」と書いてありました。「これほど幸せだったことはありません。わたしは言語に関する賜物を頂いるようです。ずっと以前、わたしに英語を教えなければならなかったときのことを覚えていらっしゃいますか。先生、わたしにしてくださったことすベてに感謝しています。わたしの翼が生えるまで、先生の翼を貸していただいたことに心から感謝しています。」□

 

PDFファイルの直リンク。26Pからです。

http://ldschurch.jp/bc/content/Japan/Liahona/2000/2000-02_L.pdf