20年前
あの日のことははっきりと覚えている。
転職して初出社の日が1月17日だった。
目覚ましより先に地震があり、飛び起きた。
あとで見ると、本棚とそばにあったシンセサイザーが枕の上に倒れていた。
家は木造で横に大きく揺れ、縦には強い振動があった。縦振動が先に来たと思う。
テレビをつけると地震のニュースをやっていて、怪我人が少しばかりという内容だった。それでも眠ることができずそのまま起きていた。
ネットはなかったがどうやらJRが不通らしいということで親に車で会社まで送ってもらった。車の助手席の窓には椿の花びらが一枚張り付いて凍っていた。それを、そのころ趣味にしていたカメラで写真を一枚撮った。
会社は地震後の点検と、JRの不通により大半が出社できないため翌日また来ることになった。帰りに駅近くの知り合いのお米屋さんに寄った。驚いた声でテレビを見てという。テレビを見て僕も驚いた。想像以上の光景を見た。
しかし自分の住む街ではいつも通りの光景があり、そのギャップに心が少しおかしくなりそうな気持ちが分かった。
次の日の朝刊を読みながら涙がぼろぼろ流れた。
当時好きな人が西宮にいて心配だったが連絡が取れなかった。
友達がオフロードバイクを持っていたので貸してくれと言ったが、「冷静になった方がいい」と言われやめた。ちなみに中型免許は持っていない。
ボランティアで古着を集めたが、中にはとんでもないものを送ってくる人がいる。ヒョウ柄のミニスカートとかボロボロすぎて贈るのがはばかられるようなもの。
また、カラッカラに乾燥したウエットティッシュを段ボール一箱送ってきた人がいた。使えないので返送したら住所が偽装してありまた戻って来た。
善意でやっているのだろうが、少し想像力を働かせて欲しいと思った。
こういう非常時には善意だけでもどうにもならないことがあるのだ。千羽鶴は本当にいらない。少し落ち着いた頃ならありがたいかもしれないが、物資の方がもっとありがたい。
被災地だからといって、みんなががんばっているのではなく、パチンコ屋に入っている人もたくさんいた。炊き出しのときに雨が降ってきたので合羽を買いに雑貨屋さんへ行くときに横目で通り過ぎた。
合羽はもちろん、品揃えもあまりよくない雑貨屋さんは老夫婦が営んでいた。バケツ、ほうき、たわしなどはあったが、まああまり熱心ではなくもう年金暮らしでついでにやっているのだろう。そこのおじさんが私物の合羽をくれた。僕は何か買おうと思い、タイガーバームを買った(まだある)。
好きな人の生存は確認できたが、その人は他に好きな人がいたのだろう。連絡をよこしてくれなかった。
会うと「早く結婚しなさいよ」って言われる。お前の言うことか。
最近会ったのは1年くらい前だろうか。無言ですっごい睨まれた。
言いたいことがあるなら言えよ。
しばらくサイレンの幻聴が離れなかった。静かなところにいるとサイレンの音が聞こえたりする。
知り合いで亡くなった人はいなかった。
しかしあの光景を見ると、誰もがどれだけの命のことを考えるだろう。